年功序列を破棄せよ
先日上げたエントリー“いわゆる残業代ゼロ制”について、コメントと共に、こういった資料をいただきました。
ちなみに小泉「改革」で日本はこうなった。
http://www.nmt.ne.jp/~sengoku/041018.html
近年の年収推移
大企業 中堅企業 中小企業 零細企業
1997年 748万 558万 416万 329万
2003年 744万 521万 379万 281万↓↓↓↓↓↓その結果↓↓↓↓↓↓
GDP確報値、05年度2.4%成長に下方改定
これを例にとりながら、WCEを導入すれば、一説には11兆円の残業代が減少するといわれ、内需縮小が起こり、再びデフレスパイラルの悪夢が来る可能性があると指摘され、最後に実態経済というものが何なのか一から勉強しなおすべきですねと助言いただきました。
このブログの表題にあるように、私は新米熱湯欲です。つまり、6月22日のブログ開始以前は政治・経済に全く興味なくすごし、ニュースサイトなどはスポーツ欄を見る程度にすぎなかった。
それが、マスコミの偏向報道をきっかけにブログを書き起こすこととなり、まず最初に偏向を排除する為にテレビと新聞(中日新聞)と言う媒体を排除しました。そして特定の書籍を読むことなく、ニュースサイトのみを見ながら疑問に思ったことをインターネットを利用して調査し、情報を比較検討しながら私なりの結論を出してきたのです。一度私のブログを最初から読んでいただければわかると思いますが、これは一素人がインターネットという限られた世界で何処までやれるかという一種の実験といいかえることも出来、そのためにエントリーの中にはちょっと無茶しすぎではないか?と自分でも思うものも多数あったことも事実です。そしてその中で、その素人っぽさが受けたのかちょっとした失敗も交えながらランキング最高3位、アクセス数57万ヒットという結果を出してきました。
さて、この方は資料を見て、小泉改革が原因で賃金が下がり、下がったことによってデフレが進行したと見ているようですが、このデータの一番不自然なところは1997年と2003年を比較して、大企業の年収がほとんど据え置きなのに対して、中堅・中小・零細はすべてにおいて等しく年収が減っているという点ではないでしょうか。
これは日本の構造上の問題を意味しています。それはすなわち大・中堅・中小・零細に序列が存在するという事実であり、その根本的な原因が日本の年功序列という制度とそのものにあるということです。つまりは、長期的なデフレ下において、日本の年功序列は労働者を搾取する構造に過ぎないことの証明なのです。
コメントの中でもう一つ、あなたは学生ですかという質問もありました。これは、エントリーのあまりの青臭さに閉口して思わず出た疑問だと思いますが、私は学生ではありません。バブル崩壊の真っ只中で就職活動を行い、デフレスパイラルの中で給与のベースアップもなされないままでサービス残業に明け暮れる、年功序列という制度の中では一番割り食っている世代です。世間一般からは“団塊ジュニア”と呼ばれています。
この“団塊ジュニア”世代は、年功序列で能力の無いままに時間の経過とともに役職を得て高給を食み、バブル崩壊後のデフレスパイラルの中で一部はリストラされたものの、その他多数は、新卒の就職難と派遣社員やフリーターという非正規雇用者の激増という大量の犠牲の上に、序列で得た給与を据え置かれたままでぬくぬくと過ごし、今、恵まれた状態のまま引退していく“団塊の世代”に対して強烈な不満を持っています。
現在の会社組織は、団塊の世代という退職間近の高給取りが大量に存在する一方で、30代の働き盛りでこれからの日本を支えていく団塊ジュニアが報われないままで非常に割りを食っている状態だといえます。そして、団塊の世代の大量退職という問題は、この割を食ってきた団塊ジュニアに報うことが出来るチャンスでもあり、ここに安倍首相の掲げる再チャレンジの意義があるのです。
しかし、そこには年功序列という時代遅れの異物が障害になっています。現在の30代の団塊ジュニアと呼ばれる人たちが時代の変化に対応し、その個別の知識と専門性を生かして仕事をしながら、判断が要求される年齢にに移行していく上での評価制度が存在しないのです。
ホワイトカラーエグゼンプションに否定的な意見が多いのは当然です。現在、会社を率いる経営陣は、年功序列の中で過ごしてきた団塊の世代がその多くを占めています。年齢は経営手腕の良し悪しとは全く関係ありません。そして、めぐり合わせによっては無能な上司を抱くことも往々にしてあることは、今まで皆さんが経験してきたとおりです。
一昔前であれば、こういった年齢によって昇進を決め、役職を決めたとしても、日本には常に1~2歩先に米国という明確な目標があり、米国企業が残していった足跡を必死でなぞって行きさえすれば間違いなく成功を勝ち取ることが出来ました。つまり、目標がはっきりしている為に、上司がいくら無能であっても回りがカバーしてまがいなりにも目標を達成することが可能だったのです。
しかし、技術的に米国に追いついてしまった今、日本は次の目標を見失っています。安定成長を続けていた過去には護送船団と表現されたように、官民一体で国の目標に従い、波風立てずに根回ししながら戦略決定をしていく調整型のエリートがもてはやされました。そして安定した高度成長期を背景に、仕事はマニュアル化されてルーティンワークがそのほとんどを占め、みんなで改善提案を出してそれを改善していくことで結果を出し、安定した収入を得ることができたのです。
そういった社会体制の中では年功序列は格好の制度であり、日本は戦後最も完成した社会主義といわれるように、一億総中流と呼ばれるような社会体制に大きな役割を果たし、一見誰もが等しく豊かになるという成功を勝ち取りました。
しかしながら、かつてないほどの長期のデフレスパイラルを経験するなかで、新たな問題が出てきました。デフレスパイラル、つまり新しい価値が創造していかねばならない世の中において、米国という目標に変わる新しい何かを創造する必要に迫られてきたのです。今まで安定性を求められていたものが、いきなり創造性を求められても会社組織としては機能せず、大企業ほど出口の見えないマイナス成長に陥ってしまいました。不況下で日本人の誰もが自信を失う中、時代の要請として出てきたのが小泉首相による構造改革なのです。
資料では小泉「改革」にてすべてが悪くなったといいたいようですが、これは明らかな間違いです。大企業の賃金だけが維持され、中~零細企業の年収が下がるという構図は、10年間というデフレスパイラルを経験しながらも、未だに年功序列をという創造を阻害し、序列をもって搾取する仕組みが大企業に温存されたままだということを意味しています。つまりは「改革」はまだその途についたばかりなのです。
かつて護送船団がもてはやされた時代には、官民一体となって国策の元に経営戦略を立て、販路を切り開いて下請けと呼ばれる中~零細を率いていました。しかしながら、低成長時代に入った現在、政府の規制緩和政策によって、官からの指導から離れた大企業は、新しい価値の創造ができないという構造的な欠陥を抱えたまま、自らの改革を先送りして古い体質を温存し、その護送船団という制度を悪用して自分達の保全のために中~零細を搾取する仕組みに変えてしまったのです。
自らはなんら新しいものを創造せず、コストを削って利益を上げるようなやり方ではやがてジリ貧になって日本という国は潰れてしまいます。そんなことは馬鹿でもわかる理屈です。その理屈をわかっていながら、大企業は団塊の世代という大量に存在する年功序列によって作られた既得権者を保護する為に、まず、コスト削減の名の下に仕入コストを削減して下請けを疲弊させ、新規採用を極度に抑制して大量の就職難民を作り出しました。そしてそれで人手が足りなくなれば今度は就職難民を吸収して急成長を遂げた派遣を低コストで大量に雇い、デフレの悪化によって割高になった社員にはサービス残業を強要してこれをしのいだのです。
それもこれも年功序列によって作り出された大量の無能な経営陣と管理者が作り出したものです。彼らは会社経営を判断する立場にありながら、その多くが高度成長期のままの前例主義の固まりで会社組織の中で常に上の意向を窺いながら仕事をするという官僚主義にとらわれていた為に、売れる仕組みと売れるものを作り出す。つまり、“今までに無い価値を創造する”というデフレ経済時に一番必要な能力と決断力を得る機会を、何一つ持つことができなかったのです。
富士通の成果主義が失敗した理由もここにあります。年功序列によって大量に作り出された無能な経営陣と管理職を温存したままで、成果主義を導入しても使いこなせるわけがありません。富士通は成果主義を導入した為に3年連続の赤字に追い込まれ、社員の給与カットに追い込まれました。人々はこれを「成果主義」の失敗として、日本式経営である「年功上列」を褒め称えましたが、何のことはなく、これはまさに「年功序列」の失敗を意味しているのです。
本来ならば、役職は能力によって与えられ、そこで上げた成果によって評価されるべきだ。しかしながらその評価制度の大前提になる役職が能力ではなく、年齢で与えられていたとなればどうしようもない。このことは全産業界におきていることです。上層部である大企業で年収が維持され、中~零細で年収が下がっているという現象は、この富士通でおきた無能な管理者によって、中堅以下が搾取された構図とよく似ています。
そのことは金融業界に一番良く現れています。現在の既成観念にとらわれ、前例主義に凝り固まった団塊の世代である経営陣は、近年の急速な銀行業務の高度化・専門化についていけず、デリバティブ・国際業務・債権流動化・マーケット業務等の新分野という専門化・高度化する銀行業務の第一線で活躍してきた柔軟性のある若手とのギャップが急速に広がっています。つまり、年功序列という制度不良によって、管理職と平社員の能力の逆転現象が起こっている。そしてそれが収益構造の転換を妨げとなり、金融における日米格差がますます広がっています。その結果、組織が硬直化した日本の金融機関を嫌い、本当に能力のある人材がどんどん外資系に流れ、日本の利益が外資に垂れ流されている。
WCEはつまるところ規制緩和です。労働から時間という観念を取り除き、実力のあるものが実力のまま評価され、新しい価値を創造できる社会になる為の一つの出発点なのです。そのためはまず、時間による評価がはびこる元凶である年功序列制度を改革する必要があります。そして、この構造改革の抵抗勢力とはいったいどういったものであるかしっかりと見極めなければならない。
年功序列もその反動として生み出された非正規雇用者から見れば既得権でしかなく、年功序列によって生み出され、かつて日本式経営成功の原動力としてもてはやされた安定雇用も、今や創造を阻害する障害でしかない。この改革の抵抗勢力とはすなわち団塊の世代なのです。
自民党をはじめ多くの保守論者は、この論点を意図的に避けているように見えます。戦後日本を形作る原動力となってきた年功序列制度を改革すると言えば、大きな反感を受けることは目に見えています。特に、世代間の投票率を見れば一目瞭然です。団塊の世代ほど高く、若年層ほど低い。
しかし、小さな政府を目指し、日本の競争力を回復するために構造改革を進め、更なる成長を願うのであれば、この問題は絶対に避けては通れない問題です。2007年の団塊の世代大量退職を前に、安倍首相が再チャレンジを提唱しながらWCEを提案し、その導入に関して国民の理解が得られていないと語った理由はつまりはこういうことなのです。
既得権者を保護するために大量の非正規雇用を生み出し、今また日本成長の妨げとなっている年功序列を団塊の世代の退職とともに一掃し、WCEによって評価基準を時間重視から能力に重視に切り替え、あのつらいバブル崩壊後に実務経験を積み重ねてきた非正規雇用者の再チャレンジを促進して日本の競争力を再生することが必要なのです。
かつての大東亜戦争を語るとき、右も左も多くの方々がその原因のひとつに当時の官僚主義を上げます。明治維新によって革新された組織が、藩閥による役職の持ち回りや経験や実績を無視した昇格によって疲弊し、昭和にいたる頃には制度不良を起こし、大東亜戦争での敗北に結びつきました。
今、日本では江戸末期、昭和初期と同じことを繰り返そうとしています。会社を動かすべき経営陣や管理者は年功序列によって昇進した官僚主義者で占められ、創造力を持った若い力は、その固定された仕組みの中で力を発揮することができず、鬱々として不満を抱えている。そしてその結果、日本そのものが沈没しようとしている。
かつて吉田松陰は成果についてこのように語っています。
夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし
故に夢なき者に成功なし
経営者は、自らの夢に基づいて事業計画(理想)を立て、それに基づいて予算(計画)を立て、そして会社組織としてそれを実行し、結果として成功を収めるものです。これができる会社ほど将来の事業計画を市場で評価され、株価が上がり、資金調達が容易となり、より大きな事業を市場からまかされることになる。
今、給与が上がらないのは経営者に夢が無く、管理者に計画を実行する力が無いからです。そしてその原因を求めるならば官僚主義にあり、その官僚主義を作り出した年功序列という制度不良にあると断言します。日本は今まさに平成維新を経験しようとしているのです。
参考サイト
年齢序列主義から人材評価主義へ 漆山 治 オンライン
メガバンクは本当に立ち直ったのか 企業ドクターいわい
ここまで書いて何なんですが、引越しなどなどで1週間ほど更新をお休みします。生活環境もすべて変わるので、以前のような更新頻度ではなくなりますが、細々と続ける予定ではありますのでよろしくお願いします。ひとまず、新米熱湯欲の実験はこれにて終了ということで。
-第一部 完-
| 固定リンク
| コメント (11)
| トラックバック (4)
最近のコメント