接客業が不人気の訳
根本的に間違っている。(元ネタ痛いニュースより)
仕事で、飲食店を経営をされている方たちのお話を聞く機会があった。その内容は、「経営」についてだった。
「ここ数年、求人広告をだしても反応がありません」と彼らはいう。
求人広告に、店の「求人案内」を載せても、応募をしてくる人が極端に少ないようなのだ。数年前までは、反応率というのは高かったらしいのだが、ここ数年は、反応がメッキリ減っている。問い合わせが、ゼロという場合も珍しくはないと言う。何故だろうか?
一方、別の、某ホームセンターで働いている友人と話しをする機会があった。飲食店では求人広告を出しても人が来ないという話しをすると、
「そう? うちは応募をかけると、反応は出るよ。採用基準に満たすか、満たさないかは別として、求人広告を出せば、必ずと言っていいほどに問い合わせが来るけどね」
飲食店経営の方たちは、こう話していた。
「若い人たちは、接客をするというのが、嫌いな傾向にあります。確かに、接客というのは大変な仕事であり、人と人が交じ合わなければならない部分があるので、大変さは分かります。どうも、最近の傾向は、若い人がその交わることを避けている風に感じます。事実、接客業よりも、工場や、ホームセンターなどで、あまり会話を必要としないで働ける方に人が集まる傾向もあります」
要するに、「接客業」よりも「無接客業」を選ぶ傾向が強いそうだ。
前述のホームセンターに勤務する友人は、最近入ったアルバイトの子に頭を悩ませていたらしい。レジを担当していたのだが、接客の対応に不手際が目立った。採用直後、たった1週間でその子は、辞めてしまったそうだ。理由は様々だろうが、「接客が苦手だったのではないか?」と友人は話していた。
接客が苦手・嫌いとはどういうことなのだろうか? 人と話すのが怖いのだろうか?
ホームセンターでも、お客との接点は必ずある。店内案内などの時は否応なしに、客との応対が求められるからだ。興味を持った私はその夜、時間を見計らって、その友人の働くホームセンターに足を運んで、生の現場を味わってみた。
ペンキ類の場所が分からない、と店員さんに尋ねてみた。
店員さんは、学生のアルバイトらしき風情だったが、単刀直入に言って「対応が悪い!」のひと言だった。友人の話しを聞いていた分、意識しすぎてしまった面はあるかもしれないが、それを差し引いても、対応の悪さが目についた。
対応の悪さをひと言でいうと、お客の「目を見ない」点にある。私は、接客というのはお客の視線に合わせ、目と目で話すところから始まると思っている。接客以前に、それがマナーではなかろうか。態度や声が大きさよりも、まず相手の目を見る事が重要で、その次に会話が始まると思っている。
誰でも、目を合わせないで話しをされると、印象を酷く悪くしてしまう傾向がある。故意であろうがなかろうが、視線がぶつからないと、話も伝わらない上、話す意欲がなくなってくると思う。
接客は、確かに簡単なことではない。人と人が基準にあるがゆえ、ちょっとしたことにクレームなどがつくことも多くある。飲食店経営の方たちと、ホームセンター勤務の友人の2つしか事例はないが、どうも、若い人たちが、接客が苦手であり、嫌いだというのも頷ける部分がある。
「人と話すと大変じゃん? 無言で仕事してた方が楽じゃない? それで金もらえれば楽じゃん!」
とそんな声が、聞こえてきそうだ。
だが、接客だからこそ、面白い部分がたくさんあることも事実なのだ。人との繋がりが生まれ、交友関係も広がり、また、人から学ぶことが多くにあるのではなかろうか?
2007-12-12 11:40 ohmynews
接客業に人が集まらないのは、別に接客が苦手な人間が増えたからではなく、元々正当な報酬を受け取っていないからだ。つまり、割が合わない。現在の人員不足は、それが若年労働人口の減少と共に顕著化してきただけにすぎない。
米国では一般的にウェイターやウェイトレスは州の最低時給で働いている。なぜなら、彼らの主な収入源は時給ではなくてチップだからだ。
日本の主な飲食業はすべからくこの米国のシステムを模倣して発展してきた。しかしながら、米国はチップを受け取り、日本はチップを受け取らない。この違いは決定的だ。
米国の外食産業はチェーン展開する段階において作業を標準化し、それをマニュアル化することによって発展してきた。そしてその発展の過程において多くの企業が淘汰されてきたが、産業全体にこの標準化された人材を多く蓄積することによって、後の爆発的な発展に繋げていった。
しかしながら、日本においては、飲食業で人材を募集した場合、経験者が再び募集してくることは極めて稀だ。なぜなら、彼らはこの仕事が割に合わないことを骨身にしみて理解しており、店舗営業とは人員不足との戦いであることを既に経験しているからだ。
米国の飲食業では繁忙店への異動や店長への昇格は歓喜すべき栄転だが、日本の飲食業にとってはこれはもはや死刑宣告に近い。
日本の外食産業は現在、自転車操業の状態にあるといえる。今は高い離職率を必死の採用活動で補ってはいるが、やがて少子化が進行し、若年層の就労人口が減少するに従って、必ず破滅はやってくる。
キッチン作業であれば、オペレーションシステムとマニュアルがしっかりしてさえすれば外国人労働者でも代用できる。しかし接客はそうはいかない。主に接客を担当する彼らは、長い経験とともに特殊な能力を備えた純然たる接客のプロだからだ。
実際に米国の飲食業においても、特に西海岸ではキッチン作業者のほとんどがヒスパニック系で締められている。キッチン内ではスペイン語が飛び交い、それによって従来そこで働いていた黒人が職を失うという社会問題すら引き起こしている程だ。
一方、接客担当者を見ればほとんどが白人であり、高い教養を備えている場合が多い。そして、この傾向は繁忙店であればあるほど、客単価が高くなればなるほど顕著化している。
彼らは、接客を担当した10~25%をチップとして受け取っている。一日に100万売り上げれば10~25万のチップが支払われることになり、仮に10人で勤務していれば時給のほかに1~2.5万の収入があることになる計算だ。
仮に日本で同じ額を時給で支払えば店は成り立たない。なぜなら、彼らに支払うべき原資を客が支払っていないからだ。つまりは日本の飲食店を利用する客が支払う対価にはサービス料が含まれておらず、今までサービスと思ってきたものはすべてアマチュアによる自主的な笑顔や気配りでしかない。だからマクドナルドのメニュー欄にはわざわざスマイル0円と記入されているのだ(今はどうか知りませんが)。米国のファストフードの従業員にスマイルは存在しない。
それが日によって違ったり、人によって差があるのは当たり前。それに文句を言うのはお門違いもいいところだ。接客担当者は奴隷ではないのだから。
ならば、商品を値上げして一律的に時給アップをすれば解決するかというとそうではない。あくまでチップとはサービスによる対価であり、時給によって支払われるべきものではないからだ。価値を伴わないサービスに対価を支払う客は存在しない。そんなことをすれば、産業全体が衰退してしまうだろう。
唯一の解決策は、日本にもチップに類した制度を導入し、今からでも接客のプロを業界全体で育てる努力をすることだ。一律3%でもいい。サービス料的に加算してそれを接客担当者に分配すれば結構な額になるだろう。
しかしながらそれには相当な困難が伴う。なぜなら日米の文化的な違いもさることながら、長年続いた慣習により、接客担当が縦割りではなく、横割りで割り当てられており、サービス料として割り当てた3%を分配することが不可能だからだ。
米国では、席に座ってからデザートを食べて会計を済ませるまで1人が接客を担当する。そしてその担当者は、能力に応じて任されたテーブル数や客が注文した料理の単価によってチップ収入が変化する。
つまり、テーブルを多く担当し、尚且つ回転率を上げれば上げるほど、追加注文を取れば取るほど収入が上がるわけだ。そりゃ頑張らない方がおかしいさ。
しかしながら日本においては、最初から最後まで1人の担当者が担当することは極めて稀だ。多くの場合、案内係、水出し係、注文係、料理運び係…などなど、その作業に応じて人数を配置する場合が多い。そして多くの場合、各テーブルがどのような状態にあるかを理解するものは店に一人も存在せず、水出しや料理運びなどの多くの能力を必要としない作業者にクレームが集中する。
これはある意味、能力のばらつきを横割りで解決しようとした苦肉の策だといえる。しかしながらここを変えなければ日本の飲食業の未来は無いだろう。
もう一つ言えることは、元々飲食業界そのものが新しく、強力なロビー組織を持たないことだ。たとえば、サービス料3%を加算する如きは日本の社会システムを根本から変化させるような行為であり、その実現には政治的な手当てをも必要とするであろう。しかしながら、現在の労働組合すらない状態ではこのような政治的な働きかけをすることは不可能に近い。
いずれにせよ現在の状態では近い将来、必ず飲食業界は破綻する。私達の子供達の代には中国辞書を持って食事に行く日が来るかもしれない。もちろんその時、まともなサービスはもう期待しない方がいいだろう。注文どおり料理が運ばれてくれば御の字だ。
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