朝日と読売の間には”超えられない壁”がある
7月23日付の社説を見てそう思った。
自民党総裁選 安倍氏独走でいいのか
福田康夫元官房長官が自民党総裁選への立候補を断念した。
70歳になる年齢など、さまざまな理由が重なっての決断だろう。何よりも、靖国神社参拝の問題で党内に決定的な対立を生みかねないことへのためらいが大きかったようだ。
これでポスト小泉レースは、安倍晋三官房長官の優位がさらにくっきりしてきた。小泉路線とは違うアジア外交のあり方を主張してきた福田氏が争えば、日本の針路にかかわる本格的な政策論争になりえたのに残念だ。
「反小泉・非安倍」の勢力は、新たな旗頭探しを迫られている。このまま安倍氏の独走を許せば、政策論争じたいが低調になりかねない。次の日本のリーダーを選ぶ総裁選がそれでは困る。
谷垣禎一財務相や麻生太郎外相を含め、「乃公出(だいこうい)でずんば」の気概で名乗りを上げる人が出て、安倍氏と堂々の論戦を繰り広げることを期待したい。
さて、その安倍氏は最近、自らの理念と政策をまとめた著書「美しい国へ」を出版した。いち早く、政権構想の基本を示そうということだろう。
その中で目を引くのは、集団的自衛権をめぐる考え方だ。国際法上、日本には集団的自衛権があるが、行使は許されない。この政府の憲法解釈を強い調子で批判している。
「財産に権利はあるが、自分の自由にはならない、というかつての“禁治産者”の規定に似ている」
2年前の対談集では、もっと勇ましかった。「われわれの新たな責任は、日米安保条約を堂々たる双務性にしていくことだ」「軍事同盟とは“血の同盟”だ」
安倍政権ではいまの憲法のもとで、集団的自衛権の行使を認めるということなのか。肝心のそこがあいまいだ。選挙戦ではぜひ具体的な方針を聞きたい。
小泉首相の靖国神社参拝は擁護する。ならば自分が首相になったら参拝するのか、それは書いていない。昨年は「次の首相も、その次の首相もお参りに行っていただきたい」と言い切っていたのに、考えが変わったのだろうか。それとも明言を避けただけなのか。
戦争認識や歴史観についての言及も薄い。安倍氏は先の大戦をどう見るかと問われると、「歴史家に任せるべきだ」とかわすことが多い。自らの国の歩みについて自分の言葉で語れないようでは、政治指導者として心もとない。
中国とは「政経分離の原則が必要」と説く。「政治問題を経済問題に飛び火させない」のだという。一方で、米国とインド、豪州とは「普遍的価値を共有する国」同士の戦略協議を提唱する。
中国とは経済関係さえ良ければそれでいい、ということなのだろうか。
月末には党のブロック別大会が全国で始まる。立候補予定者らを招き、総裁選の政策討論会にする趣向だ。主役の安倍氏をもり立てるだけの場にならないよう、参加者らの奮起を促したい。
7月23日付 朝日新聞 社説
[福田氏不出馬]「『靖国』争点化を避けた重い決断」
国の将来を真剣に考える責任ある政治家だからこその決断だったのではないか。
福田康夫・元官房長官が自民党総裁選不出馬を表明した。自らの出馬によって、靖国参拝問題が総裁選の争点となり、国論が二分されている印象を内外に与えるのは国益上、好ましくない、からだという。
中国、韓国は、小泉首相の靖国参拝を厳しく批判している。特に中国は靖国参拝問題を政治カード化し、首脳会談にも応じない状況が続いている。韓国の盧武鉉政権も同様の姿勢だ。
無論、靖国参拝問題には、賛否両論がある。だが、実質的に次期首相を決める総裁選で靖国参拝問題をめぐる声高な論争を展開し、自民党内での対立を先鋭化させれば、どうなるか。
中国の様々な牽制(けんせい)や揺さぶりが予想される。結果として、中国が政治カードとして利用することを助長し、次期首相の対中政策も制約する恐れがある。そうなれば日本の国益が損なわれる。
福田氏はこうした事態を招くことを懸念したのだろう。
福田氏が官房長官時代の2002年末に、官房長官の私的懇談会が国立の戦没者追悼施設の建設を提言した。
だが、昨年末の予算編成で、国立追悼施設建設の調査費計上問題が浮上した際、福田氏は、「静かな状況の中ですべきことだ」として、調査費計上に同意しなかった。中国の圧力に屈した形で調査費を計上すれば、将来に禍根を残す、と周辺に漏らしていた。
福田氏は日ごろ、日中関係改善の必要性を力説し、小泉首相の靖国参拝には批判的だ。だが、戦没者の追悼のあり方は他国にとやかく言われることではない。日本が主体的に判断することだ。
福田氏の決断には、今や死語同然の「国士」を思わせるものがある。
福田氏は、70歳になったばかりの年齢に、「この年になって首相をやれるか」と言う。70歳を超えて首相を務めた人はいくらでもいる。福田氏らしい遁辞(とんじ)ではないか。
福田氏の不出馬で、「安倍政権」が有力視されている。だが、消化試合のような低調な総裁選にしてはならない。
経済の安定成長の道筋をどう固めるか。税財政や社会保障制度の改革をどう進めるか。消費税率引き上げにどう取り組むか。中国との関係をどう構築するか。北朝鮮の核、ミサイルなどの脅威に、日本の安全をどう確保するか……。
次期政権の課題となる内外の重要問題に対処する具体的な方策を競う、実りある政策論争を繰り広げてもらいたい。
7月23日付 読売新聞 社説
以上ですが。。。気になるところを比較して見ます。
朝日が、福田氏の総裁選不出馬について”小泉路線とは違うアジア外交のあり方を主張してきた福田氏が争えば、日本の針路にかかわる本格的な政策論争になりえたのに残念だ”としているのに対して、
読売は、福田氏の総裁選不出馬について”国の将来を真剣に考える責任ある政治家だからこその決断だったのではないか。”と前置きした上で”靖国参拝問題が総裁選の争点となり、国論が二分されている印象を内外に与えるのは国益上、好ましくない”と考え、そして”靖国参拝問題をめぐる声高な論争を展開し、自民党内での対立を先鋭化”すれば、”中国が政治カードとして利用することを助長し、次期首相の対中政策も制約する恐れがある”としている。
また、読売新聞自らが推進している国立追悼施設に関しても、福田氏が”中国の圧力に屈した形で調査費を計上すれば、将来に禍根を残す、と周辺に漏らしていた。”とし、”戦没者の追悼のあり方は他国にとやかく言われることではない。日本が主体的に判断することだ。”と考えていたことを明かし、”福田氏の決断には、今や死語同然の「国士」を思わせるものがある。”と締めている。
説明するまでも無いが、売国新聞の雄、朝日が福田氏の不出馬によって、国論の分裂をあおり、国益を損ねる機会が失われたことを残念だとしているのに対して、
読売は国の将来を真剣に考え、国益を守った福田氏をまず褒め称え、また、国立追悼施設に賛成する立場ながら、福田氏が戦没者の追悼のあり方について他国(中国・韓国)にとやかく言われることではないと考え、将来に禍根を残すとして、その調査費を計上しなかったことを、「国士」であると評価しているわけである。
朝日の女々しい、くさった売国ぶりに対して、読売のなんと潔いことか。
朝日社説後半の安倍官房長官への印象操作と相変わらずの歴史認識については、中共さまの代弁ということに尽きます。お前は本当に日本の新聞か?本気で日本の国益について考えているのか?
読売も”低調な消化試合にしてはならない”とはしているが、中国の内政干渉を日本の国益を損ねる脅威とした上で、あくまで、経済政策や税財政、社会保障制度などの国家の懸案について議論せよとしているもので、朝日の売国ぶりとは雲泥の差がある。もはや比較にもならない。
7日の北朝鮮のミサイル発射から、21日のいわゆる「富田メモ」騒動を経て、日本の二大新聞社にここまでの大きな差がついたことに驚きを隠せません。今後、それは発行部数の差として現れ、朝日の”超えられない壁”となるでしょう。
言いかえれば売国に対する護国の壁ともいえます。
売国がもてはやされた時代は終わったのです。
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さて。24日付の社説でますます差が深まったようです。(あえて社名は入れません題名でご判断ください)
社説1 自民党を「半壊」させた 小泉政権、閉幕へ
社説2 対『北』金融制裁 明示すべき日本の国家意思
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