軍命で集団自決する国
高校生にもなったのなら、少しは自分の頭で考えるべきだ。
「真実を知り、伝えていきたい」――29日、沖縄県宜野湾市で開かれた教科書検定の意見撤回を求める県民大会では、2人の高校生が思いを込めたメッセージを読み上げた。関係団体はバスや駐車場を用意し、「歴史の改ざん」への抗議に結集を呼びかけた。予想を超える11万人が集まり、「本土」からの参加者の姿もあった。
「教科書から軍の関与を消さないでください。あの醜い戦争を美化しないでほしい。たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい」
沖縄県立読谷(よみ・たん)高3年の津嘉山拡大(つかやま・こうだい)さん(18)と照屋奈津美さん(18)は制服姿で壇上に並び、メッセージを読み上げた。「高校生も、この問題を考えていることを知ってほしい」。そんな思いを込めた。
2人が住む読谷村には「チビチリガマ」と呼ばれる壕(ごう)がある。45年4月1日、沖縄戦で村に米軍が上陸した直後、その壕で悲劇が起きた。
村史によると、壕に避難していた住民約140人のうち83人が「集団自決」を遂げた。毛布などに火がつけられ、「地獄絵図さながらの惨状だった」とされる。
津嘉山さんは会場の参加者に語りかけた。「死を求める住民が毒の入った注射器の前に列をなしました。母が我が子を手にかけたり、互いを刃物で刺し合い……」
津嘉山さんは小学生のころ、祖母に手をひかれてチビチリガマを見に行った記憶がある。その祖母は沖縄戦で、自身の母親を失った。本島中部の別の壕に避難した時、幼かった祖母をかばって流れ弾に倒れたという。
「僕たちは親族に戦争体験者がいる。集団自決のつらさは実感できる」。大会前、津嘉山さんは、そう語っていた。
2人とも大学に進み、教師になるのが夢だ。照屋さんは日本史を教えたいと思っている。
照屋さんは壇上から訴えた。
「このまま検定意見が通れば、事実ではないことを教えなければいけません。分厚い教科書の中のたった一文、たった一言かもしれません。しかし、その中には失われた多くの尊い命があるのです。二度と戦争は繰り返してはいけないという沖縄県民の強い思いがあるのです」
大会終了後、「緊張しませんでした」と笑顔を見せた。「集まった人は同じ気持ちだと思いますから」
2007年09月30日08時02分 朝日新聞
ミャンマーでは、軍政が武器で威嚇して解散を命じてもデモ隊は応じず、軍政側の銃を使用した制圧によって多数の死者を出しました。そしてそれにもかかわらず現在でも散発的にデモが発生しています。
しかし、かつての日本では“軍命”一つあれば、“死を求める住民が毒の入った注射器の前に列をなしました。母が我が子を手にかけたり、互いを刃物で刺し合い……”という状況になったらしい。そして沖縄県宜野湾市に集結した11万人にとっては、それが“たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい”という“事実”らしい。
普通こういった場合問題になるのは、作戦の障害となるために軍が住民を故意に殺害したり、自らが玉砕する前に残された住民を不憫に思って殺害したりした場合が多い。
そもそも、集団自決が“軍命”であり、戦中の日本軍が悪の限りを尽くした醜い軍隊だったのならば、チビチビリガマで集団自決を遂げた83名以外の生き残りは“軍命”を破ったとして軍によって処罰、若しくは殺害されなければ辻褄が合わない。
しかし、“軍命”があったという主張は幾度となく繰り返されているが、その“軍命”に逆らって生き残った島民に対して、日本軍による“粛清”があったとはまったく聞いたことがない。
津嘉山さんの親族が体験したように、集団自決はつらい事実であったことは間違いない。しかし、もう高校生になったのならば、いい加減その悲惨な体験を利用したいだけの大人たちが語ったことを“真実”だと鵜呑みにせず、自分の頭で考えることも必要ではないのか。
“二度と戦争は繰り返してはいけないという沖縄県民の強い思い”と、先の大戦をただ“醜い戦争”と卑下して思考停止することとはまったく別問題だ。
戦争にきれいも汚いもない。それを“美化”だの“醜い”だの言ってる内は結局何も解ってない。二度と同じ思いをしたくないなら常に勝ち続けなければならないだけだ。
先の大戦で日本が犯した最大の過ちは“負けた”ことだ。反省するなら“負けた”事を反省し、“二度と戦争は繰り返してはいけない”と思うのではなく、“二度と戦争に負けてはいけない”と強く思うべき。
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コメント
「戦争にきれいも汚いもない」
「二度と戦争に負けてはいけない」
まさにそうですね!
戦争とは究極の修羅場ですから
平和な時代には想像もつかない過酷な状況です。
私は集団自決については県民の方々も
日本兵の方々も共にとにかく最後まで死力を尽くして勇敢に戦われた、讃えるべき勇者であった
と、そういう捉え方をずっとしていました。
「高校生にもなれば少しは自分の頭で考えるべき」
全くそうです。
私が高校生の頃を考えると、今よりもっと
サヨク的(反日的)言論が世の中を覆っていました。今は書籍もネットも反日的思想に反駁するものが増えています。自分でその気になれば
色んな角度から物事を見られます。
反日主義者に利用されないでほしいですね。
投稿: sesiria | 2007年9月30日 (日) 22時42分
まったく、そのとうりです。何故自分の頭で考えて広く情報を集め真実を知ろうとしないのか、左翼思想に懲りかたまった大人は子供を利用している、新聞社の親玉が1000万部の読者は子分だと思っていることとさほど変わらないが。
投稿: 佐助 | 2007年10月 1日 (月) 09時45分
全く同意です。
今回のブログ、集会に出席した沖縄県民全員に読んでもらいたい!
投稿: | 2007年10月 1日 (月) 10時25分
>二度と戦争に負けてはいけない
その通りだと思います。戦争とは互いの正義がぶつかることです。そこにきれいや酷いとか言う言葉が付け入る隙間なんかありません。
奇麗を並べる暇があるなら、どうしたら負けないようにするか考える方が現実的だと思います。
戦争は決してなくならないのだから。
投稿: ふぶき | 2007年10月 1日 (月) 11時00分
>先の大戦で日本が犯した最大の過ちは“負けた”ことだ。反省するなら“負けた”事を反省し、“二度と戦争は繰り返してはいけない”と思うのではなく、“二度と戦争に負けてはいけない”と強く思うべき。
一字一句同意いたします
投稿: 咲也此花 | 2007年10月 1日 (月) 11時34分
宜野湾市海浜公園多目的広場をグーグルマップで見たらとても11万人も収容できるようには思えない。
最大6~7万人が限度ではないか?
投稿: yosi | 2007年10月 1日 (月) 19時50分
一億総玉砕とふざけてスローガンを掲げた国だからね。
今の北朝鮮を見ていたら、軍命で自決する人間いっぱいいるだろうね。
関東学院の教授の著書から軍命ではなかったのかという言説が生まれたらしいが、その当の教授はそれ以上にその著書で軍命であると述べているね。
いったいどっちがまともなのかね。
沖縄の高校生とネウヨ。
余りにもはっきりして良すぎてアホらしい。
投稿: K | 2007年10月 1日 (月) 23時13分
>母が我が子を手にかけたり、互いを刃物で刺し合い……
彼らは、軍命に従って地獄を見たのか?
それとも、米軍を恐れ、地獄を潜っていったのか?
兵士や住民は、米軍についてどう考えていたんだろう?
女子供・住民が投降すれば、米軍が、住民を手厚く保護し命が助かると思っていたのだろうか?
それとも、米軍に捕まれば、悲惨な最期を遂げると思っていたのだろうか?
私は、どちらも後者だと思う。
そして、それに加担した兵士を哀しいと思い、それに従った住民を哀しいと思う。
投稿: t | 2007年10月 1日 (月) 23時24分
>K
脳味噌が腐っているらしい。
ワザワザ日本から始める様にし向けた戦争を、日本の都合で止めさせてくれるモノか、日米開戦は日本民族の殲滅戦争を意図して居たと思う、始めたら止められない戦争、其れが判っていたから、戦争を止める事を端から考える事ができなかった、案の定、連合国が出してきた降伏条件は無条件降伏だった、無条件降伏をすると言うことは、国民が皆殺しにされても文句が言えないと言うことだ、事実、空襲や原爆投下、その他で80万人の非戦闘員が殺されたのだが。
先帝陛下はミッドウェー海戦の直後に「この戦争は勝てない」と悟られたと云う、多くの将兵も其れは判っていた、戦争を継続したのは、なんとか有利な条件を勝ち取って講和に持ち込み、以て国民を護ろうとしただけだ。
沖縄が本当に、アンタみたいに自分の国?の先達を貶めて考えられるクソサヨクばかりなら、沖縄も日本の国も先が知れている、直ぐにシナの属領にされてしまうダロ、シナ人の靴でも舐めて暮らしたら良かろう。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2007年10月 1日 (月) 23時38分
Kさんへ
「関東学院の教授」とは林博史氏のことですか?
氏の著作すべてに目を通したわけではありませんが
「軍命である」とした根拠は、生存者の証言にのみ拠っており
軍の命令を証明する文章等の証拠は無いと思いますが。
元々証言によってのみ「集団自決は軍命令によって行われた」とされていた。
ところが近年「証言は「集団自決」に援護法を適用するための嘘でした。」
という新証言が出されたりした事により
事実を再調査した結果「軍命令があったのは疑わしい」という結論が出されたのです。
少なくとも 当時の沖縄=今の北朝鮮 という考えは「まともではない」のでは?
投稿: きつね | 2007年10月 2日 (火) 01時27分