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2007年5月 1日 (火)

ネタの尽きない売国新聞

長い前置きだな。

阪神支局襲撃20年-言論はテロに屈しない

 拳ほどの穴が開いたジャンパーには、大量の血の跡がのこる。

 エックス線写真には、体内ではじけた約200発もの鉛の粒が写っている。

 20年前の憲法記念日に、朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った男に襲われ、29歳だった小尻知博記者が殺された。その遺品などがいま、支局の中にある資料室で公開されている。

 「赤報隊」と名乗る犯人はその後も犯行を重ねた。名古屋本社の社員寮で発砲し、静岡支局に爆発物を仕掛けた後、矛先を朝日新聞からリクルート元会長宅や愛知韓国人会館に転じた。阪神支局の襲撃に先立って、朝日新聞の東京本社を銃撃していたこともわかった。

 ◇「50年前にかえれ」

 一連の事件は03年にすべて時効になった。犯人を捕らえて事件を解明することができず、無念というほかない。

 犯行声明文に「反日朝日は50年前にかえれ」という文言があった。犯人がかえれ、という1930年代は、テロと暴力の吹き荒れた異常な時代だった。

 5・15事件で犬養毅首相が射殺された。高橋是清蔵相らが殺された2・26事件では、朝日新聞社も反乱軍に襲われた。新聞は軍部の圧力に屈して戦争に協力していく。日本は中国で戦火を拡大し、太平洋戦争へ突き進んだ。

 そんな悲惨な時代に二度と戻るわけにはいかない。

 大きな犠牲と教訓のうえに、日本は戦後、「言論の自由」をうたう憲法を掲げて再出発した。自由にものをいえる社会こそが、戦争を防ぎ、国民の幸せを実現できると考えたからだ。

 しかし、戦後もテロや暴力はなくならなかった。

 日米安保条約をめぐって国論が二分された60年、浅沼稲次郎社会党委員長が日比谷公会堂で刺殺された。翌年には、皇室を題材にした小説をめぐって、出版元の中央公論社の社長宅が襲われ、お手伝いさんらが死傷した。いずれも右翼の少年の犯行だった。

 70年代に目立ったのは、左翼の過激派のテロだ。企業や役所を爆破する事件などが次々に起きた。

 ◇靖国と教科書

 そんなテロと暴力の流れの中で、80年代に起きたのが赤報隊の事件だった。

 犯人は事件を起こすたびに声明文を通信社に送りつけたが、「50年前にかえれ」というぐらいしか具体的な要求を示さなかった。

 だが、犯行の引き金になったと思われる手がかりがある。首相の靖国神社参拝と復古調の教科書の問題だ。

 88年3月、静岡支局に爆発物を仕掛けたとき、犯人は中曽根康弘前首相と竹下登首相に脅迫状を送りつけた。

 中曽根氏は85年の終戦記念日に靖国神社に参拝したが、中国や韓国の反発で、その後は取りやめた。中曽根氏は当時論議を呼んだ復古調の歴史教科書の検定でも、中韓の反発で再修正を求めた。

 そんな中曽根氏を赤報隊は「裏切りもの」とののしり、靖国神社に参拝しなければ処刑すると竹下首相を脅した。

 朝日新聞は当時も、首相の靖国神社参拝に反対し、教科書問題でも批判的な姿勢をとっていた。

 赤報隊は犯行を重ねることで恐怖をふりまき、新聞や政治家を自分の思う方向に持っていこうとしたのだろう。

 そうした犯行は過去のものではない。

 経済同友会の小林陽太郎元代表幹事の自宅に火炎瓶が置かれたのは05年1月のことだ。小林氏は当時の小泉純一郎首相の靖国参拝について「個人的にはやめていただきたい」と発言していた。

 昨夏には、参拝を批判していた加藤紘一元自民党幹事長の実家と事務所が放火された。靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)をめぐる昭和天皇の発言を報じた日本経済新聞社に火炎瓶が投げつけられた事件では、右翼の男が逮捕された。

 慰安婦問題を中学校の教科書に載せたことに対し、教科書会社幹部や執筆者に脅迫状が届いたことも忘れられない。

 気になるのは、テロや暴力に対し、政界や経済界の動きが鈍いことだ。加藤元幹事長の事件で小泉首相が犯行を批判したのは、ずいぶんたってからだ。

 それどころか、石原慎太郎東京都知事は、北朝鮮外交を進めていた田中均外務審議官の自宅に発火物が仕掛けられたことについて、「あったり前の話だ」とテロをあおるような発言をした。

 テロが起きた場合、政治家や経済人がすかさず強い姿勢を示す。被害者が自分と違う意見の持ち主であっても、である。それが暴力をふるう者を孤立させ、テロの芽を摘むうえで、欠かせない。メディアが暴力に敏感に反応しなければならないのはいうまでもない。

 ◇レッテル張りの怖さ

 自由な言論を揺るがすのは、むきだしの暴力だけではない。

 地域や職場で、他人と違う意見を言うだけで奇異な目で見る。「ノー」と声をあげる人をつまはじきする。そんな雰囲気が広がっていないか。

 赤報隊が使った「反日」という言葉は、いまや雑誌やネットにあふれている。自分と相いれない意見を「反日」や「売国」と決めつける。そうした一方的なレッテル張りが、問答無用の暴力を誘い出してしまう。そんな心配がある

 憲法施行から60年を迎えた今春、またも長崎市長が銃撃され、伊藤一長氏が亡くなった。

 「われわれは暴力を憎む。暴力によって筆をゆるめることはない」。小尻記者が凶弾に倒れたとき、私たちは社説でこう書いた。その決意を新たにしたい。

2007年05月01日(火曜日)付 朝日新聞

 前置きを長々と書き、いい加減ウンザリ来たところで赤報隊=「反日」の印象操作で締めると言う、実に朝日新聞らしい社説ですね。

 “「われわれは愛国を憎む。愛国によって売国をゆるめることはない」。”ってか。捏造と印象操作による売国はまだまだ続くってワケですね。

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コメント

確かに憶測と妄想をそのまま書いていれば
ネタはつきないでしょうね。
果たしてそれがどこまで
新聞と呼べるかは疑問ですけど・・・

投稿: 新米熱湯翼 | 2007年5月 1日 (火) 21時00分

何故これが売国なんだか意味分からないんだがwww
普通に共感した俺は売国奴だったのかw
自分たちの言動の攻撃対象を特定アジアに置き換えてみろ。まさにお前らの忌み嫌う反日厨じゃないかw中韓は嫌いだがそれ以上に自国民の馬鹿な言動が恥ずかしいな。
そんなに嫌いなら本社の前でデモすれば良いじゃないか。社会のクズだと思われるだろうがな。

投稿: 高校生 | 2007年5月15日 (火) 18時01分

仰る通りですね。
貴重なご意見どうもありがとうございます。

投稿: takayuu@管理人 | 2007年5月15日 (火) 20時34分

「ペン」は暴力ではないのか?それなら仲間はずれも執拗な悪口もいじめにはならない。殴られてはじめていじめだと彼らは言うのだろうか?

いじめ問題が盛んな時期、彼らが学校を責める姿は茶番だった。

投稿: 無々 | 2007年6月22日 (金) 15時31分

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