戦後補償敗訴決定
すべての決着がついたようです。
第2次大戦中に強制連行され、広島県内の水力発電所の建設現場で過酷な労働をさせられた中国人の元労働者ら5人が西松建設を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は「72年の日中共同声明は個人の損害賠償等の請求権を含め、戦争の遂行中に生じたすべての請求権を放棄する旨を定めたものと解され、裁判上は請求できなくなった」と初めての判断を示し、原告側の請求を棄却した。
西松建設に計2750万円の支払いを命じ、原告側を逆転勝訴させた二審・広島高裁判決を覆した。原告敗訴が確定した。
最高裁で強制連行をめぐる訴訟が実質審理され、判決が出るのは初めて。第二小法廷は、戦後補償問題は日中共同声明によって決着済みで、個人が裁判で賠償を求める権利はない、と司法救済上の「土台」を否定した。これにより、慰安婦訴訟などほかの20を超える継続中のすべての戦後補償裁判でも、中国人側の敗訴を決定づけた。
一方、判決は「被害者らの被った精神的、肉体的苦痛が極めて大きく、西松建設が強制労働に従事させて利益を受けていることにかんがみ、同社ら関係者が救済に向けた努力をすることが期待される」と異例の付言をした。
日中共同声明の「戦争賠償の放棄」に関する条項は、サンフランシスコ平和条約などと違って個人の賠償請求権までも放棄したかどうかが明記されていないため、その解釈が分かれてきた。
第二小法廷はまず、原告らが強制連行され、同社が過酷な労働をさせて安全配慮義務を怠る不法行為があったとする二審の認定を支持した。
そのうえで、請求権が放棄されたかどうかを検討。戦後処理の端緒となった51年のサンフランシスコ平和条約の枠組みについて、「個人分を含め、すべての請求権を相互に放棄した。ここでいう放棄とは、請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、裁判上請求する権能を失わせるにとどまる」との解釈を示した。
これを踏まえて、日中共同声明について「戦争賠償や請求権の処理で、サ条約の枠組みと異なる取り決めが行われたと解することはできず、あえて個人の請求権処理を未定のままにせざるを得なかった事情はうかがわれない」と指摘。「同声明5項はすべての請求権を放棄する旨を定めたものと解される」と結論づけた。中川裁判長のほか、今井功裁判官、古田佑紀裁判官の計3人の一致の結論。
原告らは98年1月、広島地裁に提訴。一、二審とも原告らが44年ごろに日本に連行され、同県加計町(現・安芸太田町)の「安野発電所」を建設するため、昼夜2交代で導水トンネル工事などに従事させられたと認定した。
2007年04月27日13時15分 朝日新聞
この判決によって、“慰安婦訴訟などほかの20を超える継続中のすべての戦後補償裁判でも、中国人側の敗訴を決定づけた”わけですが、国旗・国家裁判、靖国参拝訴訟と続くサヨクどもの敗訴はとどまるところを知りませんね。
ところで、こういった“被害者達”はどのようにして集められているのでしょうか。
「原判決を破棄する」。裁判長が読み上げ始めた判決主文は、傍聴席から上がった「なぜだ!」「不当判決だ!」という怒号でかき消された。戦時中の被害から60年余り。苦しみ続けた原告らが投げかけた問いに、司法が正面から答えることはなかった。
「不当判決だ」「真実に目を背けるな」。判決言い渡しの瞬間、傍聴席から声があがった。
記者会見した原告の邵義誠(シャオ・イチェン)さん(81)は「裁判所が自ら責任を免れたいという判決だ」と無念さをにじませた。
「不当判決」と大書した紙を手に支援者らの前に現れた、原告を支援する土屋信三さん(56)は「ふざけた判決。歴史に汚点を残した。だが、強制連行や強制労働などの事実や安全配慮義務違反は、高裁までに認定されている。道義的責任を取らせたい」と語った。
◇
「閉廷します」。中川裁判長がそう告げた後も、原告の宋継堯(ソン・ジィヤオ)さん(78)らは拳を振り上げ、判決に抗議した。
宋さんは強制連行先の建設現場でトロッコごとがけから転落し、両目を失明した。空腹でふらふらのまま夜勤を強いられての被災。16歳だった。
仲間の中国人が病院にかつぎこんだが、医師から「治療できない」と追い返された。頭が割れるような痛みに耐え切れず、腫れ上がった右目を自ら両手で絞り出した。
労働力として役にたたなくなり、大陸に送り返された。布団で作った上着は破れ、穴だらけになった。裸足で物ごいをしながら、母が待つ家を目指して100キロもの道のりを歩いた。
目の不自由な妻と結婚し、楽器を奏で、「孫悟空」などの物語を語り、わずかな投げ銭を日々の糧に子どもを養った。
「この苦しみは、どこにも訴えようがない」。そう、あきらめていた。
90年代に入り、強制連行の実態調査をしていた中国・河北大学の調査チームや日本の市民団体の訪問を受けた。西松建設が「雇用主」だと初めて知った。半世紀ぶりに訪日し、謝罪と賠償を求めたが、西松は強制連行の事実さえ認めようとしない。98年に提訴した。
〈今生恨みは晴らせぬか 泣き寝入りかと口惜しくも〉〈思いがけずにようやくに 恨み晴らすは今日にあり〉――。
憤りを詩に書いた。
判決後の記者会見。宋さんは、車いすの上で声を絞り出した。
「最後まで、たたかっていく」
2007年04月27日15時32分 朝日新聞
なるほど。“被害者達”は“強制連行の実態調査をしていた中国・河北大学の調査チームや日本の市民団体の訪問”によって発掘されていたわけですね。その方達が支援して”20を超える継続中のすべての戦後補償裁判”をおこしたと。
中国は戦後、中間賠償として1億6515万8839円に相当する43,919台の工場機械の内の54.1%を受け取り、また、日本が個人資産を含む中国の在外資産、約2386億8700万円を放棄したことにより、そのすべてを受け取っています。
“戦後補償”を認めろというのならば、この日本が放棄した在外資産すべて耳をそろえて返していただき、その上で戦後補償のやり直しをすればいい。そうすればきっと日本政府は現在係争中のすべての補償に応じ、“被害者達”は十分な補償を受けることが出来るだろう。
すべてを受け取り、その上賠償しろなんて強欲にもほどがあります。訴えるなら中共を訴えろ。
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コメント
良かったですね。悪い言葉ですが、「ざまを見ろ!」と言いたいです。
投稿: Hatumagodekita | 2007年4月28日 (土) 08時55分
正に、訴える先が元々間違っている、指桑罵槐は司法には通じない事をこの弁護士は、原告に説明すべきだった、日中共同声明が為された時点で戦時補償は消滅、その後、貴方に為されるべき個人補償分は、共産党が違う形で受け取っているのですよ、と、日中双方が納得した上での共同声明ですから、この決定に不服がある場合、乃ち、訴えは共産シナに向けられるべきものです、日本は、是をどうすることもできない事を、日本の担当弁護士は原告に説明せよ。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2007年4月28日 (土) 09時39分
「訴える先が間違っている」その通りですね。
何でもかんでも「日本」を訴えあわよくば
法廷へ持ち込む。
そんな思考にさせてしまう調査チームや市民団体の
罪は深い。
まあ正当な決着で良かったです。
投稿: SESIRIA | 2007年4月28日 (土) 10時30分
この裁判に米の弁護士がからんでいるのもなんだかね・・・
米での慰安婦問題も奴等の裏にも相当いそうですね、死肉にたかる禿鷹みたいなのが。
投稿: yosi | 2007年4月28日 (土) 11時10分
斜め読みをしたとき、
「最後まで、たたかっていく」 が
「最後まで、たかっていく」
に見えてしまった。
でも、彼らの本音はそれではないかとも思う。
投稿: maruten | 2007年4月28日 (土) 14時23分