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2006年11月27日 (月)

勇気を持って反論せよ

前提が間違っています。

戦史の比較研究に本腰、防衛庁が海外から資料積極収集

 防衛庁は2007年度から、同庁の調査研究機関である防衛研究所(東京都目黒区)で、戦史の国際的な比較研究を強化する。

 昭和戦争中に連合国を中心とする諸外国が作成した日本関連史料や、連合国が押収した旧日本軍史料のうち、歴史的価値の高い史料を積極的に収集し、国内史料と比較して、戦史研究を多角的に進める。07年度は、研究所職員を米英露豪などに派遣し、各国の研究機関が保管する該当史料の実態調査に着手する方針だ。

 防衛庁が戦史の比較研究に本腰を入れるのは、「戦史研究の世界では、国内外の史料を比較しながら史実を検証する手法が主流となりつつある」(防衛政策課)との判断からだ。防衛研究所が引き継いでいた大本営の膨大な史料の整理・分類が、昨年度にようやく完了のメドがつき、立ち遅れが指摘されていた戦史の比較研究に重点を移せることになった。

 海外にある史料で、防衛庁が「日本の戦史研究に影響を与えた」とする事例としては、蒋介石が、生前に抗日戦の戦略や舞台裏をつづった日記などがある。

 防衛庁では、海外での実態調査を通じ、重要な史料の特定と目録入手を行ったうえで、非公開分を含め、各国にある日本関連史料の複写などの収集を順次進める。研究を深めることで、「先の大戦で、日本が各国の意図や戦略を読み違え、外交交渉による解決の可能性を逃していったという歴史的教訓が得られる」(防衛政策課)とみている。

 研究の成果は、同課内に07年度新設する「戦略企画室」での中長期的な政策立案にも役立てたい考えだ。

(2006年11月26日10時54分  読売新聞)

 “「先の大戦で、日本が各国の意図や戦略を読み違え、外交交渉による解決の可能性を逃していったという歴史的教訓が得られる」”って馬鹿。

 最初にどうやれば勝てたかを研究して、それがどうやってもダメだったと結論付けられる時に初めて、ならばどのような外交交渉すればよかったのかを研究するのが一国の国防を預かる省庁の研究のやり方ではないのか。

 “国際的な比較研究”というからには、物事を多面的に見るのが目的ではないのか?ならば、研究する前に“日本が各国の意図や戦略を読み違え、外交交渉による解決の可能性を逃していった”という前提を設けるべきではない。

 あえていうならば、そういった官僚的な“思考停止”が日本の敗戦を招いたといっても過言ではない。つまり、すでに答えはもう出ている。

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 それはさておき、戦史を本気で比較研究するのであれば、まず取り上げなければならないのはノモンハン事件でしょう。この事件の真実は長い間隠蔽され、共産主義国のソ連のプロパガンダによって、日本軍の一方的な敗北だとサヨクに喧伝され続けてきました。

 しかし、冷戦後の旧ソ連から流出した資料によると、ソ連側の損害2万5565に対して日本側の損害が1万7405であり、損害数に約8000の差があり、尚且つこれは、ソ連軍が日本軍に対して10倍の勢力を有したことを考えると、5分5分どころか、寡兵で奮戦し、日露戦争から続くスターリンの南進の野望を打ち砕いた日本軍の大勝利であったということがわかってきています。

 また、ソ連の進んだ機械化部隊に日本軍が火炎瓶で立ち向かって大損害を受けたなどというのも大嘘。当時のノモンハンのソ連軍戦車は走行射撃も出来ない水準の旧型であり、日本軍の戦車部隊に全く太刀打ちできないできず、日本軍の損害29台に対して800台もの損害を出したことからいっても、日本軍とソ連軍の差は、全く比較にならないレベルだったことがわかっています。

 そして、航空戦に関しては日本の単葉機九七式戦闘機に対してもソ連の複葉機イ15、16は全く太刀打ちできず、日本の179機の損害に対して、1673機の大損害を出しました。

 ノモンハン事件は、ソ連軍20数万に及ぶ領土侵犯で始まり、日本軍の寡兵ながらも果敢な奮闘によりそれに痛撃を与え、その後の外交交渉によって停戦がもたらされました。もし、日本軍がここに10個師団を動員し、蒙古のソ連軍に更なる痛撃を与えたのならば、粛清につぐ粛清でソ連共産党が恐怖で支配してきた外蒙古支配は完全に崩壊し、その後の歴史は変わっていたことでしょう。

 もうひとつ忘れてはならないことは、この戦局に両国の国民意識が大きく作用していたという点です。近代国家として生まれ変わり、愛国心に裏づけされた高い士気と、激烈な訓練を施された日本軍に対して、旧態依然としたままのソ連軍は全く太刀打ちできなかった。戦場に残された焼け焦げた戦車にはモンゴル兵が鎖につながれたまま焼死していたといいます。共産主義者が戦後必死になってノモンハン事件を隠蔽し、国内サヨクどもが必死で捏造史を喧伝した理由は実はこういったところにあるのかもしれません。

 戦後、日本人はこういったサヨク的プロパガンダに大いに乗せられ、敗戦のショックから目をそらす為か、反論を拒んできたように思います。こういった負の遺産を次世代に引き継がせてはなりません。政府機関によりタブー無く論じられ、日本が正しく評価されることを望みます。

 そして、戦前の日本軍は悪という考えに凝り固まり、自らを思考停止に陥らせた人たちは、その自己陶酔から覚醒し、勇気を持って反論しなければなりません。

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参考サイト

本当は日本軍の大勝利だったノモンハン事件 歴史論争最前線

ノモンハン~大平原での日ソ激戦 国際派日本人養成講座

ノモンハン事件はスターリンの満州・朝鮮への侵略の野心を打ち砕いた戦略的日本の大勝利であった。 ★阿修羅♪

ノモンハン戦車戦-ロシアの発掘資料から検証するソ連軍対関東軍の封印された戦い

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コメント

防衛官僚(背広組)主導の予算ぶんどりのテクニックでしょう。

戦後60年も経っているのに、今更出かけていって集めなければならない資料だって、今まで何をしていたのか。

あっ、そうか。予算の削り代(しろ)か。


投稿: weirdo31 | 2006年11月27日 (月) 07時35分

最近この事実を書籍で知ったが、ノモンハンの真相を知ると
かくも勇敢に戦った我ら日本の誇りである父祖にたいし
胸が熱くなりジーンときた。

亡き父(83.5歳)は大東亜戦争で東南アジアに出兵。
11月の半ば宝塚霊園に 午後の4時すぎ 墓参りに行った。
広い霊園には小生一人。 きれいに拭いて 語りかけながら
手を合わせると 目頭が熱くなってきて・・・とうとう 声を出して泣いてしまった。


投稿: 駱駝 | 2006年11月27日 (月) 14時46分

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