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2006年10月 7日 (土)

偏向が前提の議論

何故、反対政党の菅直人が安倍首相の取材回数削減に口をはさむのか。

首相取材の機会、菅氏が削減反対

 民主党の菅代表代行は6日の衆院予算委員会で、安倍首相への直接取材について「首相は所信表明演説で国民との対話を重視すると言っており、取材を削減するのは矛盾ではないか」と述べ、1日2回の取材機会の確保を求めている内閣記者会の立場を支持した。

 首相は答弁で、「全く矛盾しているとは思わない。私は1日1回、(記者の質問に答える)ぶら下がり(取材)に応じている。メールマガジンやタウンミーティングで双方向の国民との対話を進めている」などと反論した。

 しかし、菅氏は納得せず、「双方向と言いながら、(首相との)間にしっかりした記者がいなければ、ワンウエー(一方通行)と同じになる」と指摘した。

(2006年10月6日12時51分  読売新聞)

 まったくといっていいほど議論がかみ合っていませんね。

 菅代表代行の「首相は所信表明演説で国民との対話を重視すると言っており、取材を削減するのは矛盾ではないか」はサヨクマスコミを意識した内閣(偏向)記者会の代弁で、サヨクマスコミに対してはっきりとした仲間意識を感じての発言です。

 それに対して安倍首相は「全く矛盾しているとは思わない。私は1日1回、(記者の質問に答える)ぶら下がり(取材)に応じている。メールマガジンやタウンミーティングで双方向の国民との対話を進めている」と答弁。つまり、信用できないサヨクマスコミとの接触は付き合い程度に抑えて、国民との直接対話を重視する方針だと伝えたわけです。

 しかし、菅代表代行は納得せず、「双方向と言いながら、(首相との)間にしっかりした記者がいなければ、ワンウエー(一方通行)と同じになる」と指摘。つまり、首相と国民との間にサヨクマスコミがいなければ自分たちに都合が悪いとはっきり認めているわけですね。

 どちらもマスコミは“偏向”しているという前提に立ちながら、安倍首相は削減を主張し、菅代表代行は現行通り2回を主張するとは、マスコミがどちらの方向を向いて報道しているかということを理解する上で、とてもわかりやすい構図になっています。

 さて、しっかりした記者を通して国民に語り掛ければどういうことになるのでしょうか。本日の田中真紀子氏の国会答弁を例に比較して見ましょう。

「パパの靴で右へ右へ」 真紀子議員、首相と初顔合わせ 朝日新聞

“真紀子節”で首相批判「パパの靴履きあぶなっかしい」 読売新聞

田中真紀子元外相が安倍首相に初質問 毎日新聞

衆院予算委で安倍、真紀子対決 産経新聞

 上記の各新聞社の記事の内、拉致に関する質問の内容を取り上げているのは、読売と産経のみ。毎日は要旨で触れたが内容には踏み込まず、朝日にいたってはすべてが田中真紀子氏の意味の無い質問で埋め尽くされており、肝心の北朝鮮拉致に関する質問にはまったく触れられていません。さらに田中真紀子氏の外相時代の拉致被害者に対する無礼な言動を例にとって批判したのは産経のみという体たらくです。

 しかも、北朝鮮の核実験が8日にも行われる可能性があり、国連において日本政府が中心となって声明案を6日に採決を目指している最中でもあり、安倍首相が拉致問題の解決を目指して自ら拉致問題対策本部長に就任したにも関わらずです。

 これが偏向といわずして何というのでしょうか。安倍首相の歴史認識が拉致被害者奪還より重要なのでしょうか?60年前の歴史認識が現在進行形で進行する隣国の独裁政権の核実験より重要なのでしょうか?そして何より本気でそんなことを国民が知りたいと思っているのでしょうか?これが奴らの言う“国民との対話”の正体なのです。

 菅代表代理は、よくまぁいけしゃぁしゃぁと「双方向と言いながら、(首相との)間にしっかりした記者がいなければ、ワンウエー(一方通行)と同じになる」などといえたものです。今の状態こそがまさに“ワンウエー”ではないか。毎日垂れ流される反日偏向報道にはいい加減うんざりします。何が“しっかりした記者”だ。菅代表代理が言うこの“しっかりした記者”の中に今回の産経新聞の記事を書いた記者が含まれていないことは間違いないでしょう。いや、これでもまだ足りない。産経ももっとがんばれ!

 昨今、インターネットの発達により、この“ワンウエー”が崩れつつあります。双方向で発展してきたこの文化が、この国でゆるぎない地位を獲得するにはまだまだ時間がかかると思います。その時が少しでも早く来るよう、初めて間もないささやかなブログではありますが精一杯努力していく所存でございます。

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おまけ

「なんでも意のままだ。やつら、支配されているんだよ。人間どもを支配するのに虚偽くらい強いものはないぜ。人間てのはな、ぼうず、頭に描く考えで生きてるんだからよ。そしてこれはあやつれるんだな。このあやつる力、これこそものをいう唯一の力よ。だからおれもその力の側について、それにあずかろうと思って働いてきたんだ-おまえらとはまた別のやりかたでだがな。」

ミヒャエル・エンデ作 はてしない物語 -化け物の町 アトレーユと人狼の場面より抜粋-

はてしない物語

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